学生時代の下宿 市田邸
学生時代の下宿 私は学生時代、 上野の山にある東京芸術大学と 道路を一本挟んだだけの距離にある 「市田邸」という下宿に住んでいました。 この下宿は、時代を感じさせる とても珍しいつくりをしていました。 昔コメットさんというTV番組の お父さん役をやっていました 有名な声楽家の五十嵐喜芳さんが、 学生時代住んでいたという、 由緒ある下宿でした。 貸間という形で、 ふすまを一枚隔てただけの部屋を借り、 共同部屋に、 下宿生や近所に住んでいる友人が 夜な夜な集まっては、 日々、たわいもない話で 盛り上がっていました。 その共同部屋には、 火鉢と、練炭の掘りごたつがあり、 夜中になると その火力が弱まってくるので、 こたつに潜って、 練炭のすすを払っては、 少しでも暖かさが持続するように していました。 だいたい夜中の二時頃に、 火は消えてしまいました。 火鉢で、良くラーメンも作ったのですが、 やはり火力が弱く、 堅めの麺になってしまった事を 思い出します。 それでも、 お腹をすかした学生にとっては、 夜中のラーメンは とてもおいしく感じました。 天井には、明かり取りの窓があり、 また、家の中から繋がっている お蔵もありました。 下宿のおばさんは、夏になると、 このお蔵に良く逃げ込んで 涼んでいました。 この下宿の入り口には、 良く時代劇に出てくるような門の 小型版がありました。 横の小さな木戸から出入りしてましたが、 この下宿には門限があり、 連絡をしておかないと 24時に門の鍵を閉められてしまい、 締め出されてしまいました。 良くみんな酔っぱらいながら、 門をはい登って中へ入っていました。 夜中になると、日暮里、上野、千駄木に、 立食いうどんや焼き肉を食べに行ったり、 風営法もまだなかったので、 ケームセンターに行ったり、 本当に、学生生活を満喫していました。 もちろんしっかり勉強もしたつもりです。 この下宿の前を通ると、 学生時代の思い出が、 つい最近のことのように思い出されます。 この下宿で、 学生生活を送れてたことを 幸せだったと思っています。 追記 ある日、実家に電話をしましたら、 私が芸大の学生時代に住んでいた下宿が、 BS朝日で、 特集されていたという話を聞きました。 調べてみると、 『百年名家』芸大生が守る伝統建築の美 ~芸術が香る街東京・谷中~ という番組で、 生前の下宿のおばさんのインタビューも 放映されたそうです。 おばさんがお亡くなりになり、 誰も住んでいない時期があったのですが、 歴史的価値がある、 素晴らしい建物でしたので、 現在は、NPOにして 芸大の美術学部の学生さんが住みながら、 管理していると伺いました。 色々と探した結果、 この番組を録画していた方がいたので、 その時の映像を ダビングさせていただく事が出来ました。 懐かしい下宿先が、映像として残り、 記念に手にできた事は、 とても幸せな事だと思います。 追記2 その後、私の合唱団の団員の方が、 日経新聞と一緒に入ってきた 月一の雑誌に、 100年経っている建物の特集があり、 私が学生時代に下宿していた家が 載っていましたよと、 その雑誌を持ってきてくれました。 歴史的な建物として、 今も大学の横に建っています。 追伸です。 市田邸については、 こちらに記事が載っていました。 この東京都職員上野桜木会館の 左奥に写っているのが「市田邸」です。 よくこの東京都職員上野桜木会館に、 全国から先生方が研修に来ていて、 夜に宴会をしていました。 偶然、山口県の学校公演の時に、 東京での研修の話をして下さる 先生がいらして、 この上野桜木会館に宿泊をしたそうです。 「市田邸」に響き渡っていた 宴会の笑い声は彼らだったんですね。 思い出 目次
たいとう歴史都市研究会 市田邸に詳細が載っていました。
「平成13年、地域や東京芸術大学の有志が集まり、 市田邸を借り受けることを機にNPOたいとう歴史都市研究会を立ち上げ、 市田家と定期借家契約をして活用を始めました。 以来、若い世代がシェア居住をしながら日常の維持管理をし、 1階座敷を芸術文化活動の拠点として活用を行っています。」
たいとう歴史都市研究会 市田邸より
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