宮中の桃華楽堂での御前演奏会
私は、スギ花粉のアレルギー性鼻炎がひどく 2月~4月の演奏会は、 いつも苦労しているのですが、 この花粉症による体調不良と、 本番が重なってしまった演奏会の中で、 最大の危機だったのは、 大学卒業時の御前演奏会でした。 卒業演奏成績トップのご褒美として、 宮中の桃華楽堂での御前演奏会に 出演させていただいたのですが、 (声楽は何校かの大学の持ち回りなので、 東京藝術大学には四年に一回、 順番が回ってきます。) 御前演奏会当日の朝、 のどの痛みを感じ、目を覚ましました。 そして、おそるおそる声を出してみると 音域が一オクターヴしかでませんでした。 大学入試の年から、急に花粉症になり、 どこに行くにも、 ティシュが手放せない状態でしたが、 ここまで酷いのは初めてでした。 本番への緊張もあったのだと思います。 でも、ジタバタしても仕方ないので、 いつもの何倍もの時間をかけて、 ゆっくり体操を行い、 少しずつ身体をほぐしていきました。 そして、小さな細い声から、 少しずつ発声を始めました。 声を出しては体操をする、 声を出しては体操をする、 を繰り返し、 絶対無理をしない様に 声を出していきました。 すると、軽くて細い声で、 今日、歌わなければならない曲の 音域まで出るようになってきました。 「何とかなるかもしれない」 と思い、 更に集中して、慎重に声を出し、 その声を逃がさないようにしながら、 待ち合わせの東京駅に向かいました。 東京駅の改札には、 先に到着していた藝大の先生と 両親が楽しそうに会話をしていました。 ここから、タクシーかなと思ったのですが、 「さぁ、行きましょう」と先生に言われ、 歩いて皇居へ向かいました。 宮中から実家に、 御前演奏会の御招待の手紙が届いたそうで、 その招待状を見せくれました。 そして、この御前演奏会の日が、 私の両親の結婚記念日と同じ日だという事を 嬉しそうに話をしてくれました。 東京の大学まで、 通わせていただいた事に対しての恩返しが、 少しはできたかもしれないなと思い、 安心をしました。 天気も良く、皇居内を散歩しながら、 皇居の中の桃華楽堂に向かいました。 とても暖かく、 のどかな日だったことを憶えています。 桃華楽堂に到着しましたが、 私は、相変わらずの喉の調子でしたので、 桃華楽堂の控え室で、 まず、入念に体操をして、 ゆっくりと発声を行い、 黙々と調整をしました。 そして、覚悟を決めました。 廊下には赤いじゅうたんが ホールまで続き、 客席には、センターに皇族の方々、 そして、その周りに各大学の関係者、 演奏者の家族が座っていました。 この様な感じです。 ホール内での、お辞儀の仕方も 決まっていたような気がしましたが、 緊張していたせいか、 断片的にしか記憶がありません。 実は、演奏中の事も 良く憶えていないのですが、 いつもより軽い声で 何とか歌いきった気がします。 後で、邦楽科の同級生に、 「先週のリハーサルより良かったですよ」 と言われ、 ホッとしたことは覚えています。 演奏会終了後、 各大学の関係者、 演奏者とその家族が広間に通され、 プチケーキとお茶をいただきながら 歓談をしました。 テーブルには、 ケースに入った紋章入りのたばこが、 何本も置いてあったのですが、 みんなそのたばこをお土産にしようと ポケットにしまっていました。 そして、最後に記念の品として、 紋章入りの銀のスプーンと 宮内庁御用達のどら焼きをいただきました。 玄関で、皇族方々から、 演奏者一人一人にお言葉をいただき、 皇族の皆様をお見送りして、 関係者一同、解散となりました。 張りつめていた空気が 一変に緩みました。 私達は、来た時同様、 歩いて門の外へ出ようとしたのですが、 途中で道を間違え、 開いていない門へ行ってしまい、 迷子になりかけましたが、 何とか別の門を探し、 皇居の外へ出ることができました。 記念の演奏会でしたから、 「これから美味しいものでも食べるのかな」 と思っていましたら、 まず、藝大の先生が、 「今日は良かった。 良い思い出になったよ。じゃあ」 と興奮して去って行き、 私の両親は、 「新幹線の時間もあるので、 私達も静岡に帰るから、 今日はありがとう、 おいしいものでも食べて」 と、私の手に5千円札を渡して 去っていきました。 ちなみに邦楽科の皆さんは、 車でパーティー会場へ移動し、 盛大な記念の食事会があったそうです。 一人残された私は、 根津の行きつけのトンカツ屋さんへ行き、 カウンター席で、 いつものロースかつ定食より二百円高い、 ヒレカツ定食を食べました。 記念日なので、 少しだけ贅沢な夕食にしました。 その後、下宿に戻り、 今日の日を心から喜んでくださった 下宿のおばさんと一緒に 宮内庁御用達の紋章入りのどら焼きを食べ、 記念すべき一日を終えました。 どら焼きの皮がいやに厚くて 固かったのを覚えています。 実は、演奏が終わって、 皇居の外へ出てホッとしたとたん、 喋り声が枯れてきて、 数日満足に話せませんでした。 この演奏会以来、 どんなに喉の調子が悪くても、 最後まであきらめないで 演奏するように心がけています。 思い出 目次
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