女声合唱団 ヴォーチェ・ソァーヴェとの出会い
ヴォーチェ・ソァーヴェを 指導することになったきっかけは、 私が東京藝術大学大学院の二年生に なった年の4月だったと思います。 高校、大学時代からの友人のKが、 地元静岡に戻り、就職する為、 自分が指導している合唱団を 代わりに指導して欲しいとの事でした。 合唱団自体は、 まだ、結成されて一年、 団員も10名弱。 伴奏者はなし。 練習は月三回。 春休み、夏休みの間は、 練習をお休みにする。 という条件でした。 もちろん快諾して、 ヴォーチェ・ソァーヴェを 指導することとなりました。 朝10時に、練習会場に行くと 会場には誰一人来ていません。 丁度その頃、 お子さんが小さい時期だったようで、 なかなか家から 出られなかったそうです。 いつの時代も女性は大変ですよね。 もちろん現在は、 皆さん練習時間に集まっています。 私は気が長い方なので、 のんびりと待っていると、 10時20分頃から、 ちらほらと人が集まり始め、 いつも、10時30分頃からの スタートとなりました。 指導する私の方も、 まだ合唱指導には慣れていませんので、 試行錯誤しながら、 指導をさせてもらいました。 大学時代の合唱の先生でした、 田中信昭先生の授業を思い出し、 まずは、体操から始め、 しっかりと身体をほぐし、 心が落ち着いてから、 発声に入ります。 しかし皆さん、 普通の主婦の方々ですから、 当たり前の様に、 声は出ないわけで、 「どのように導いたら、 声が出るようになってくるのだろう?」 と思い悩みましたが、 色々と思いついた発声方法を試し、 それを客観的に聴くことによって、 効果がみられる発声方法を 見つけていきました。 練習会場もなかなか取れず、 ピアノのない部屋での指導も 度々行いました。 今の様にポーターサウンドや スマホのアプリがある時代では ありませんので、 ピアニカを吹きながらの指導となります。 その時は、 吹いて、話をして、吹いて、話をして、 と、意外と大変でした。 北区の合唱祭には、 最初の三年間は、 女声二部の作品で参加をし、 その後、女声三部の作品での参加が できるようになりました。 そして、少しずつ人数も増え、 春・夏休みも練習するようになり、 ピアニストもお願いできるようになりました。 あれから、33年目を迎えています。 ヴォーチェ・ソァーヴェの成長により、 北区合唱連盟からの信頼を得て、 度々、北区「第九」の指導も させていただいています。 今年は、新型コロナウイルスの影響で、 会場を貸してもらう事ができず、 通常の練習を行う事ができませんので、 私が毎週、クラウドに動画を上げ、 それを皆さんに観てもらい、 各自練習をしてもらうという形を 取っています。 新型コロナウイルスが収束し、 安心できる状態になりましたら、 また、楽しい時間を共有しながら、 一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。 ヴォーチェ・ソァーヴェのHPはこちら 思い出 目次
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