静岡県オペラ協会公演「カルメン」(高校生時代)
高校2年生の時に、 静岡県オペラ協会公演「カルメン」に レメンダード役にて出演させて いただきました。 今考えると、 高校生が、オペラに出演するというのは、 とても珍しいことだったと思います。 オペラの稽古には、 半年の間、週一回、 高校の授業が終わると、 オペラ協会の会員でもある 音楽の先生の車に乗せてもらい、 静岡市にある練習場に通いました。 稽古の終わりは、21時でしたから、 帰宅は22時頃だったと思います。 大人の歌手の方々に混じっての 練習は、とても緊張しましたが、 皆さんに親切にしてもらい、 また、今までに聴いたことのない、 様々な素敵な声を聴くことができ、 とても貴重な時間を過ごす事ができました。 それから、オペラに参加したことによって、 色々な社会勉強もさせていただきました。 何ヶ月か練習していると、突然、 「歌詞をすべて変更することに なりましたので、よろしくお願いします。」 と言われました。 出演者の皆さん、固まっていました。 指揮者と演出家との間で、 解釈の相違があったようです。 オペラの日本語の歌詞を すべて覚え直す事になりました。 オペラでは、本番までに、 色々な事が起こるんですね。 若かったので、すぐに覚え直しましたが、 今言われたら、 暗譜の自信がありませんので、 役を降りるかもしれません。 また、夏のオペラの合宿の時に、 急にチケットを渡され、 「これはあなたのノルマ分ですよ。 高校生だから、 少なくしておきましたよ。」 と、にこやかにチケットを渡された時には、 何も聞いていなかったので、 「このチケットどうしよう」 と思ってしまいました。 昭和の時代は何でもありでした。 結局、自分にはどうすることもできず、 両親に売ってもらったのですが。 (差し上げていたのかもしれません) 日本において、 オペラに出演する為には、 チケット販売をしなければならない という現実を知らされました。 そして、本番の一か月前になると、 藤沢市民交響楽団との オーケストラ合わせを 藤沢市民会館で行うので、 交通手段や宿泊をどうするかを 稽古場で話し合っていました。 急に一緒に出演していた 音楽の先生がやってきて、 「藤沢に行く日が、 体育祭とぶつかってしまったけれど、 学校側には私が言っておくから、 大丈夫だから」 と言って、 皆さんの所へ戻って行きました。 私は高校時代、運動が得意でしたので、 「ここで、目立てる!!」と 体育祭を楽しみにしていたのですが、 残念ながら、体育祭を欠席して、 オーケストラ合わせに行きました。 同級生との思い出は、 一つ減ってしまいましたが、 結果的に、プロの歌手になりましたし、 普通ではできない体験をさせて頂いたので 今では、感謝しています。 それから、 藤沢市市民会館でのオーケストラ付きの 舞台練習は二度あったのですが、 一回は、先ほど書きました、 体育祭とぶつかった日帰り稽古の日で、 もう一回は、泊りがけでの稽古の日でした。 夜の練習を終え、 何人かの静岡組のソリスト方々が 飲みに出かけました。 私は高校生ですから、もちろん、 真っ直ぐホテルに向かい、 明日の練習ために寝ていると、 夜中に飲みに行っていた方が戻ってきて、 私の横で寝始めました。 (現在のように個室ではなく、 大部屋で、みんなで泊まっていました) すると、女性ソリストの方々が、 「ドンドン!!」とドアを叩き、 凄い顔で入ってきました。 何かが焦げた臭いがしたそうです。 部屋の男性の方々も目を覚まして確認すると、 何と私の横で寝ていた方が、 寝たばこをして、 布団を焦がしてぼやを出していたのです。 みんなですぐに火を消しましたが、 そのまま火事になっていたら、 丸焦げになっていたかもしれません。 その方は、酔っぱらっていたので、 そのまま、気づかないで寝ていました。 ショッキングな事件でした。 色々な思い出があった、 オペラ「カルメン」でしたが、 静岡市民文化会館大ホールは、 お客様で一杯になり、 盛大に公演が行われました。 18年後、静岡県民オペラ協会には、 同じ静岡市民文化会館大ホールにて、 「カルメン」のエスカミーリョ役で、 出演させていただきました。 このオペラを通して、 貴重な経験や 社会勉強をすることができましたので、 忘れられない思い出の一つと なっています。 こちらにも関連記事があります。 思い出 目次
コロナ前のHPは、こちら
コメント