No.13 中学生時代 合唱との出会い バリトン歌手・合唱指導者 佐野正一

中学生時代の合唱との出会い

こども音楽コンクール 優秀賞 於:郵便貯金ホール
中学生時代の合唱

「高校生でオペラ」という内容を
他の記事で書きましたが、

その合唱部(オペラ部?)に入る
きっかけとなりました、
中学時代の合唱との出会いを
書きたいと思います。


静岡県中部地区にある、
私の母校の藤枝市立広幡中学校は、
生徒の少ない学校で、

全校生徒で270人を越えるか
越えないかという人数でした。


合唱部というものはなく、
私が入学する数年前に赴任してきた、

恩師であるA先生が、
この学校に合唱への情熱を
注ぎ込んでいました。


中学に入学すると、先輩たちが
熱心に合唱の練習していました。

とても活気があったと思います。


私は、変声期がとても遅く
(変声したのは中学三年の時です)

まだ、入学したての時は、
ボーイソプラノでしたが、

その声が珍しいと思ってくれたのか、

A先生は、
その臨時合唱部へ誘って下さいました。

しかし、何回か通ったのですが、
部活との両立が大変で、
結局、練習へは行かなくなり、

合唱とは関係のない生活をしていました。


A先生の努力により、
学校全体の合唱のエネルギーは
益々盛り上がっていました。

私が再び、合唱の練習へ参加したのは、
三年生になってからでした。

私が三年生になった時には、
学年の三分の二の人達が
この臨時合唱部に参加するようになり、

私も再び、自然とその世界に
入っていく事になりました。


その臨時合唱部は、静岡で開催される
コンクールの予選にむけて、

空き時間は、
すべて練習に費やしました。

あの頃のエネルギーは凄いものです。
暇があれば歌っていました。


その結果、幸運にも、
静岡県代表の四校の中に選ばれ
(うち二校は何と両隣の中学です)

初めて、この小さな学校が、
東京での本選会に
出場する事になりました。


印象に残っているのは、
結果発表をするたびにわき起こる、
客席からの喜びの声に、

司会をしていた女性アナウンサーが、
つられて感動し、
泣いてしまったことです。

未だにその声を覚えています。

この発表の瞬間のテープを
ダビングしてありましたので、

大学時代、歌に行き詰まると、
このテープを聴いて、

歌う事の喜びを思い出し、
頑張っていた事があります。

残念ながら、
その後、テープは紛失してしまいました。


TBS子供音楽コンクール予選会で、
静岡県代表に選ばれたため、

みんなで、心を一つにして、
より一層、練習に取り組みました。


コンクール当日は、朝早く学校に集合し、
貸し切りバスで東京に向かいました

その頃、私の住んでいた町には、
高いビルもなかったので、

都内に近づくに連れて現れる、
見た事のない高層ビルに
驚かされました。

(私が小学生の頃には確か、
地上36階、高さ147メートルの
「霞が関ビル」が、日本初の
超高層ビルだったと思います。)

郵便貯金ホールで行われた、
TBS子供音楽コンクール
東日本大会の結果は、

何と、隣りの学校が最優秀賞、
私達の学校と
逆隣りの学校が優秀賞と

この静岡県の一地区で、
すべての賞を独占しました。

素敵な思い出をいただけて
本当に感謝しています。


少し前の話になりますが、
この母校の合唱コンクールに招かれ、
コンサートをする機会に恵まれました。

とても懐かしかったので、

曲目の解説ではなく、

中学時代の思い出を語りながら
歌ってきました。

中学生の子供を持つ親として
聴きに来ていた
私の同級生達も、

きっと色々な事を
思い出していたと思います。

この様なコンサートを企画していただき
これもまた、感謝しかありません。


思い出 目次
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