東京藝術大学受験 音楽を始めるきっかけから大学合格まで

目次

東京藝術大学受験 ストーリー 1 音楽を始めるきっかけ

忘れもしない小学6年生、
音楽の授業で合唱を歌っていた時、

音楽の先生が、

「この中に全く違う音を

 歌っている人がいます!!」

と、みんなの前で、私を指さし、

子供心に、とても傷ついた
記憶がありましたので、

歌は、あまり好きではありませんでした。


しかし、中学時代、音楽の先生に恵まれ、


合唱の喜びに触れる事ができ、



また、入学した普通高校で入った合唱部が、

学園祭でオペラの公演を行うという、
まさかの部活で、


そして、県のオペラ協会への出演私の運命は、音楽の方向へと
急速に流れていきました。



高校二年生の6月に、
合唱部の顧問であったU先生の紹介で、

静岡においてトップクラスの指導者である
F先生のレッスンを受けることになりました。


F先生は、歌を聴いてくださった後、

「この分野は、

 とても厳しい世界ですから、

 引き返すなら今の内ですよ。

 どうしますか?」

と聞いてきました。


その時の自分としては、
歌の楽しさしかわかりませんでしたので、

「はい、大丈夫です。」

と答え、

F先生の門下に、
入門させていただける事となりました。


しかし、ピアノもソルフェージュも
全くやったことがありません。

しかも、大学入試まであと1年半。

そこからは、急に受験体制になりました。


週一回の歌のレッスン

日曜日クラスの
調音、新曲、コールユーブンゲン

土曜日クラスの調音

木曜日クラスの調音

学校の授業が終わるとせっせと、
予備校の様なF先生の家へ通いました。


その他に、
週一回のピアノのレッスン、調音

朝、高校へ早く行って、
音楽の先生にも一日おきに調音してもらい。

昼休みは、音楽室でピアノの練習。

空いている日は、
同じ門下の同級生とピアノを弾き合って
調音の問題の出し合い。

夏休み等は、
音大へ通っている先輩が戻ってくるので、
火曜日に調音2時間と毎日30分新曲視唱。

まさに音楽漬けの日々を送りました。


歌うこと以外、
何もやって来ていなかったわけですから、
仕方がありません。


藝大のピアノ科やバイオリン科の人は、
3歳くらいから、
レッスンを受け続けていますので、

確実に絶対音感を持っていて、

下駄の鳴る音とか、
遮断機の音を言い当てたりする人もいました。


花火大会の時に、
ソルフェージュの強い先輩がいて、

下駄の音がコロンとなった時に、

「今のは、Cisの音」

とか言っていました。



しかし、声楽科を目指すの男性の場合、
急に高校生から音楽に目覚めて、

ピアノとソルフェージュを
始める人が多くいますので、


私の様に、ひたすら量をこなして、
受験の合格レベルまで
引き上げていくしかありません。



ある日、F先生に呼び出されて、
数字が書いてある紙を見せられました。

「私、計算してみたんだけれどね、

 一浪すると、あんたの親は、

 予備校の費用とか入れると
 ○00万円支払う事になるんだよ。

 入れるなら、現役で入りなさい」


と、活を入れてきました。

見た事のない金額に驚き、
より気が引き締まりました。


私の時代は、共通一次試験の時代で、
五教科八科目、
全部受けなければなりませんでしたが、

※現在は、英語と国語だけです。

家では、勉強している時間が
全くありませんでしたので、

授業中に授業の内容とは関係ない、
受験勉強をしていました。

東京藝術大学受験 ストーリー 2 音大受験生の集まるF門下へ

F先生の門下生には、
色々な高校から多くの音大受験生が
集まって来ていましたので、

色々な方と知り合う事ができました。


特に、一学年上と私の学年には、
男性が多く集まっていて、(6名いました)

色々な声を聴くこともできましたし、

みなさん個性に溢れていましたので、
刺激をたくさん受けました。


また、F門下生は、仲が良かったため、
定期的な勉強会の後などに、
ボーリングに行ったり、

夏には、焼津や蓮華寺池で行われる
花火大会などに、

帰省していた音大の先輩たちと、
(あくまでも受験勉強の息抜きに)
観に行ったりもしました。


そういう意味では、

日々音楽漬けでしたが、
孤独を感じる事はありませんでした。

今考えると、
とても恵まれていたと思います。



静岡大学で共通一次試験を受けた時も、
偶然、同門が集まりました。


実は同門の受験生には、

「佐野」が三人いまして、

佐野文彦(シャンソン&カンツォーネ歌手)

佐野正一(声楽家)

佐野正幸(劇団四季)

の三人が、

前から順番に並んで共通一次試験を受けました。

※佐野文彦、佐野正幸は双子です。

そして、右の列の丁度横にも
同門がもう一人いました。

ここに4名集まったわけです。

いつもとあまり変わらない環境での
試験となりました。



共通一次試験が終わると、
一か月半後に、東京藝術大学の入試になります。


学科の心配はなくなりましたので、

それからは、
歌のレッスン回数も増えていきました。


朝一に、レッスンに行ってから、
高校に行くことも多くなりました。


内緒の楽しみは、

レッスン後に、
静岡駅のホームの立ち食いそば屋で、
月見そばを食べてから学校に行く事でした。

その後に、堂々と遅刻して、
授業に加わるのですから、

何と言い表したらよいのかわかりませんが、
とても嬉しかったです。

昔の田舎の高校生ですから、
こんな事でドキドキしていました。


ストーリー3へ続く



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東京藝術大学受験 ストーリー 3  試験日程の発表 第一次試験

実は、高校の卒業式の日である3月1日に
試験日程の発表がありましたので、

東京に出て来て、
日程確認をしなければなりません。

その為、残念ながら
卒業式は出席できませんでした。


その当時の入試は、四次試験まであり、
現在の声楽科の試験は、三次試験までです。

一次試験 自由曲

二次試験 新曲視唱・コールユーブンゲン

三次試験 課題曲・自由曲

四次試験 ピアノ・単旋律、二声、
     和声調音・楽典

そして、一週間後の3月20日が最終発表でした。


その頃は、もちろんホームページでの発表は
ありませんでしたから、

一回一回、東京に上京して、
発表を見て、一喜一憂する感じでした。

ずっと東京に泊まっている人もいましたが、
精神的にかなりきつい入試でした。

私は、そのストレスからか、
急にアレルギー性鼻炎を発症し、
鼻水と格闘しながらの入試となりました。


第一次試験の日、
埼玉県の知り合いの家に泊めてもらい、

朝、京浜東北線に乗って、
上野駅に向かおうと思ったのですが、

何と朝のラッシュに引っかかり、
何回も電車に乗ることができず、
とても焦ってしまいました。

静岡ではありえない光景でした。

そして、ヘロヘロな状態で上野駅に到着、
急いで大学へ向かおうとすると

今度は、急に声を掛けられ、

「自衛隊に入りませんか?」

の勧誘、

危うく、呼び出し時間に
遅刻しそうになりました。



第一次試験は、3分半の自由曲

まだ改築前の木造の校舎にある
レッスン室に10人位入れられ、
各自発声となりますが、

みんな牽制しあって、
なかなか声を出しません。

一人が始めると安心して、
みんな発声をし始めました。


試験を行う部屋の前の廊下に
ストーブが置かれ、

そこで少し待ってから、
試験になります。

とても暖かく、心が落ち着きました。

試験は、3分半でしたので、
あっという間に歌い終わってしまいましたが、


「こんな短い試験なのに、

 緊張で、歌詞を忘れたり、

 声がひっくり返ったりして

 失敗していたら、

 また一年間、大変な思いをして

 勉強しなければならないんだよな…」


と思い、ぞっとしました。

3分半の演奏で、人生が決まります。


無事に第一次試験を
合格することができ、

第二次試験へと進むことができました。

東京芸術大学受験 ストーリー 4 第二次試験

第二次試験は、
新曲視唱・コールユーブンゲンです。

コールユーブンゲンは、
テンポ・音程・リズムを正確にとる為の
教材楽譜です。

No.1~No.87まであり、
この中から、当日2曲指定され、
階名で歌います。

合格する人は、
何回もこの楽譜の旋律を練習して、
暗譜するくらいになっています。


試験会場には、自分が歌う二人前から、
入っていたのですが、

私の二人前の方は、「固定ド」で
しっかり歌い無事に終了。

私の前の方は、
「移動ド」で歌う予定でしたが、

「固定ド」の階名を聴いていたので、
わからなくなってしまったようです。

10秒くらいの長い沈黙が続き、
その後、違う階名で歌い始めましたが、
ぐちゃぐちゃになってしまいました。

※「移動ド」は、どんな調の曲であっても
 主音が「ド」になるように、
「ドレミファソラシ」の位置を変えて
 音を読みます。

「固定ド」は「ドレミファソラシ」の位置は
 常に同じです。

試験はやり直しがききません。
本当に恐ろしいです。

私は、その失敗を見ていたので、
気が引き締まり、冷静な状態で、
落ち着いて歌う事ができました。


新曲視唱は、
試験会場入口で初めて見る楽譜を渡され、
その場で30秒程度読んだ後、

試験会場に入り、
譜面台に置かれた同じ楽譜を音階で歌います。

入口で楽譜を渡してくれた試験官は、
TVで見たことがある有名なオペラ歌手でした。

試験会場に入り、
譜面台の楽譜をゆっくりと見てから歌おうと
のんびりしていたら、急にリズムを叩かれ、
急かされてしまいました。

厳しいですね。

色々ミスはあったと思いますが、
最後まで歌う事ができました。

不安でしたが、
第二次試験も合格することができ、

課題曲・自由曲の第三次試験へと
進むことができました。

東京芸術大学受験 ストーリー 5 第三次試験

第三次試験は、課題曲と自由曲を
続けて歌いました。


課題曲は文字通り、課題曲が出ていて、
当日、その中から指定され、
控室に掲示されます。

ですから、多くの曲を
暗譜しておかなければなりません。

将来的には、暗譜も仕事ですから、
やはり必要な試験だと思います。


自由曲は、第一次試験で歌った
得意な曲をもう一度歌います。

※現在は、課題曲は日本歌曲と外国語歌曲の
 二種類歌わなければならないようです。
 年によって、要項が変わりますから、
 受験する方は、必ず確認をしてください。


試験会場には一人前に入って、
順番を待つのですが、

前の人の演奏を聴いていると、突然緊張で、
自分の歌の歌詞が出てこなくなります。

本当に歌詞が思い出せないと焦ります。
不安との戦いです。


聞いた話ですが、

試験中、最初は普通に歌っていたのですが、
何を思ったか、
急に何ページか先に飛んでしまい、

そのまま終わるかと思った瞬間に、
本人が飛んだということに気付き、

また、元に戻り、行ったり来たりして、
ぐちゃぐちゃになりながら、
何とか最後に辿り着いた様な事も
あったそうです。


スポーツと一緒で、
やり直しのきかない世界なので、
本当に集中力が必要です。


私は、花粉症になってしまっていたので、
ベストの状態ではありませんでしたが、
何とか無難に歌うことができました。


第三次試験の後、
だれが誘ったのか覚えていませんが、

同じブロックにいた10名くらいで、
上野公園口駅上にあった日本食堂に行き、
お茶を飲みました。

みんな全国から集まってきていて、
簡単な自己紹介をしたりしましたが、

四次試験で、会うことができたのは、
その内の三分の一だったと思います。

厳しいです。
(でも、翌年に何人か大学に入ってきて
再会できました。)

東京藝術大学の声楽科は、
浪人生の方が多い大学です。


裏話ですが、

地方から試験と発表のたびに、
東京に出てくるのが大変な為、

試験結果の発表を他の人に見てもらった結果、

試験日を間違って伝えられ、
一年棒に振った人を何人か知っています。

今は、ネットで発表しますから、
自分が見間違えなければ、
大丈夫かと思いますが、

昔は、意外とありました。


四次試験は、

ピアノ、調音、楽典の試験になります。

流石に、ここまで来ると
ストレスはピークに達しています。
苦しいです。

三次試験の発表と四次試験の間が短かったので、
今回は、藝大の先輩の家に泊めてもらいました。

大学生の生活を覗く機会となりました。

東京芸術大学受験 ストーリー 6 第四次試験 そして合格へ

第四次試験の前日は
藝大の先輩の家に泊めてもらいました。

音楽学生専用の寮のような場所で、
その先輩の部屋は6畳くらい、

部屋にアップライトピアノを
置いていましたので、
生活スペースは限られていました。


また、お風呂・トイレは、共同で、

電話は一台、電話のベルに気が付いた人が
受話器を取り、取り次ぐ形でした。

現在の若い人には、
想像がつかないかもしれません。

何をするにも手間が掛かる時代でした。



第四次試験は、
ピアノ、調音、楽典の試験です。

試験当日は、とても爽やかな日でした。


声楽科のピアノの課題曲は、
例年、スケールと
バッハ:インベンション2声でしたので、

課題曲が出る半年くらい前までに、
インベンション2声の全15曲を練習して、
課題曲の準備をしておきました。

そして、発表された課題曲は、
スケールと
バッハ:フランス組曲でした。


見事に山が外れました。

難易度が上がりましたので、
また、必死に練習するしかありません。
ショックでした。


三曲課題曲があり、
当日その中から二曲指定され、
その内の一曲を弾きます。

試験当日、
課題曲を一曲しか練習していない強者がいて、
その一曲が外れたらしく、

待合会場から、

受験生全員に手を振りながら、

「また、来年!!」

と去っていきました。

彼は、その後どうなったのでしょうか?


ピアノの試験を何とか無事に終え、

調音は、単旋律、二声旋律、和声調音があり、
単旋律は、途中で転調していたと思います。

楽典は、学科と同じように勉強をしておけば、
問題ないかと思いました。


音楽の勉強を始めて短期間でしたが、
その間にやれることはやりましたので、

これで駄目なら、来年かなと思い、
東京を後にしました。



そこから、発表まで一週間ありましたが、
気分的に遊ぶ事もできず、

でも時間はたっぷりとありましたので、

喫茶店に行って、
本を読んでは、時間を潰していました。

この悶々とした一週間は
とてもとても長い時間でした。


3月20日の最終発表の日、
もの凄い緊張の中、
掲示板を見ました。

「合格です。」


自分の番号を見つけた時には、
「ヤッター!!」というよりは、
ホッとした自分がいました。

これで受験勉強から解放されます。


そして、何と静岡のF先生の門下生が、
私を含めて5人合格していました。

上野公園の電話ボックスから、
二浪で合格した女性の先輩が、

私たちの代表として、
F先生に合格の連絡をしました。

すると、受話器の向こうから、

「バンザーイ、バンザーイ!!」

と万歳三唱をしている
F先生の声が聞こえてきました。

このあたりで初めて、
合格をしたという実感が湧いてきました。


帰宅後は、慌ただしい日が続きました。

心配をおかけした方々へ、
電話で合格の報告を行い、

東京での住む場所を探し、引っ越し、
(素晴らしい下宿に出会いました)


初めての一人暮らし、大学生生活、
たくさんの夢を持って、
上京することができました。

上野公園の桜は満開でした。

あとがき コロナ過での入試

その後、時は流れ、
声楽科の入試の形態も変わり、

試験は三次試験までにまとめられ、
課題曲に日本語の歌も加わりました。

そして現在、このコロナ禍により、
入試に影響が出ています。

2020年同様、今年の2021年は、
第三次試験に行われるはずの
ソルフェージュとピアノの試験が
なくなると伺いました。

たいへんに小規模な大学ですので、
広い試験会場を確保できない事も
要因の一つだそうです。

色々と問題はあるとは思いますが、
苦渋の決断かと思います。

少しでも早く、新型コロナウイルスが
収束することを願ってやみません。

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東京藝術大学音楽学部正門 台東区上野公園
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